慰霊塔が壕の上にある壕の深部までは結構ある▼撮影=非公開(2007年) 今度は文字通りのアンダーグラウンド。予てから訪ねたいと思っていた、海軍司令部壕である。 『沖縄県民かく戦えり』の電文(追記)は、何度読んでも涙が浮かぶ。それをしたためた太田実中将の最期の場所だ。
 場所は小禄(那覇市)と思っていたが、すぐ隣の豊見城にあった。平日の午後。観光シーズンには少し早いとは言え、人気がない。勿論、ひめゆりの塔など、所謂南部戦跡も結構だが、ここを訪れないで、沖縄慰霊は始まらないだろう。そういう自分もたびたび沖縄を訪れていながら、初めてなのだが…。
 海軍戦没者慰霊之塔の文字は野村吉三郎海軍大将の筆による。彼は日米開戦時の駐米大使だった。彼の英語がもう少し上手だったら…という「歴史のif」もある。
 慰霊塔の奥にある小さな入り口。狭い、地下へ続くトンネルの階段。勿論こんなものはなかっただろう。中は思っていたよりも広かったが、こんな中に4000人もの将兵がいたとは信じられない。硫黄島に行ったときもそう感じたが、大東亜戦争末期の最前線では、想像を絶する忍耐の下で、将兵は戦っていたのだ。そうやって祖国を守り、英霊として今も見守っているのだ。
太田司令官が自決した部屋 司令官室は当時のまま。太田中将の遺墨もあったが、保存処理を施していないのは気になった。
 壁には勿論、あの電文。各国語訳もあった。英文を読みながら涙する2人の女性。母方の祖父が沖縄戦で戦死したのだという。小生は、司令官室に向かって合掌した。
 太田中将のお嬢さんはアメリカ人の男性と結婚し渡米したが、沖縄戦で米軍を苦しめた日本軍人の娘だと、パンも売ってくれないことがあったという。小渕恵三元総理が彼女に会ったとき「大変でしたね」と慰めると、彼女は「父の苦労に比べたら、たいしたことはありません」と言って泣き崩れたという話が伝えられている。
 ところで今沖縄は、「歴史捏造裁判」でゆれている。
みんな日の丸を早く掲げたかった 沖縄で軍の命令による集団自殺があったという神話が、覆されようとしているのだ。これは、軍の命令があったことにして、旧厚生省から金をもらえるように話を作っていたのだが、知ってか知らでか、大江健三郎や在縄マスコミなどの左翼が悪乗りして、命令を出したと言う嘘を黙認していた当時の軍人をことばの限り罵倒していたのだ。しかし、軍の命令はなかったということが、証言により明らかになり、裁判は罵倒されていた軍人の名誉を回復しそうなのである。それにあわてた、高島某琉球大教授(変節漢家永三郎の弟子。教授というよりも工作員)らが、嘘を塗り固めようと、県内の左翼を総動員して、議員に圧力をかけているというのだ。
 太田中将は草葉の陰で、何と思っているだろう。国を、子孫を守る為に最後まで戦った将兵と沖縄県民を冒涜する左翼どもに対しては勿論だが、沖縄県民への後世の「ご高配」を忘れ、左翼の跋扈を許した保守政治家にも怒っているに違いない
 沖縄返還前には、県民は「日の丸を揚げ、君が代を歌いたい」と、祖国復帰運動をしてきたのだ。社会大衆党などの左翼だって、左派の屋良朝苗琉球政府主席だって同じだったのだ。
 壕から出たところにある売店には、同じオオタでも、基地問題で沖縄を混乱に陥れた左翼の大田昌秀元知事の著書が売られているという滑稽さ。
 沖縄を左翼の草刈場のままにしないためにも、政府首脳は太田中将の電文を、もう一度、真剣に読み直すべきだ。《この項終わり》
昭和20年6月6日大本営海軍次官宛第062016番電
 沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既二通信力ナク 第三十二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルニ付 本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ 之ニ代ツテ緊急御通知申上グ 沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来 陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ルニ暇ナカリキ 然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ 残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ 家屋ト財産ノ全部ヲ焼却セラレ 僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難 尚 砲爆撃下 ‥‥(不明) 風雨ニ曝サレツツ 乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ 而モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ 看護婦烹飯婦ハモトヨリ 砲弾運ビ、挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ 所詮、敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク 婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ 親子生別レ 娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ 看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ 身寄無キ重傷者ヲ助ケテ‥‥(不明)真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ワレズ更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ自給自足夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住民地区ヲ指定セラレ 輸送力皆無ノ者 黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ 之ヲ要スルニ陸海軍沖縄ニ進駐以来 終始一貫 勤労奉仕、物資節約ヲ強要セラレテ 御奉公ノ‥‥(不明)ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ‥‥(不明)コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島実情形‥‥(不明)一木一草焦土ト化セン 糧食6月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄縣民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ